昭和56年7月29日 朝のご理解   入力者松本正宏


 御理解第三十六節 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」

 皆さんの場合は信心は金光教に極まった。しかも合楽にご縁を頂いたということはただ事ではない。そのお道の信心をさせて頂くでも、頂かせてもらう信心は合楽の信心とまあ、定まっておられるものとして、聞いて頂きたい。
 八百万の神々というのはあまりもの信心じゃ。皆さんの場合はそれがない。もう合楽と心が定まっておる。として聞いて頂きたい。なら私は合楽の御信者であると定まっておるというだけではいかん。それが、いよいよ、ね、芯というたら草木でも芯と言うたら一つじゃと仰るその芯が定まらなければならない。そんなら合楽の信心を頂いて合楽の信心のどこを芯とするかというものが、その芯がはっきりと定まらなければ一心という事には言えませんね。皆さんが合楽、そして、合楽理念とこう言われる。その合楽理念の芯ところというもの、その芯はどこにあるかというと、その一心が私ははっきりすると、信心も際立ってくる。普通で出来そうにもない事が出来る。いうならばお徳を頂く手立てというものが、この芯が決まる、この芯が定まらなければいけない。
 皆さん信心して、お道の信心はただ平穏無事であるという事を願う事ではない。問題は自分の心が平穏無事でなからなければならない。自分のここがいつでもどんな場合であっても和賀心である事を願いとすることがお道の信心。和賀心とは勿論和らぎ賀ぶ心である。そして雨もよかろう風もよかろう。ね。お天気ばかりの日ではない。その全てがまあいうならば、一言で言うならば神愛なんですけれども、神愛と分からせてもらい、教祖の神様は、難はみかげと教えておられます。二代金光様は難あって喜べと仰っておられます。昨日、竹葉会で皆さんの色々の発表を聞かせて頂きました中に、久留米の佐田さんが発表しておられまして、本当に素晴らしいお話を聞かせて頂きましたが、その中に、その前日に二十七日が久留米地区の共励会でした。主人がお話をしておりまいたが、私の前には難儀はないという話をしておる。佐田恭造さんの前には難儀は無いと。素晴らしいですね。私も以前からその事を申しております。だから私と同じ信心の心境が開けてくるという事が、合楽理念の行者という事になるのです。
 ね。ナポレオンという人は自分の辞書から不能という事をとってしまえと言うたと言うのです。自分の前には、出来ないということはないと。だから、字引に不能という言葉はいらんといったという事ですが、私は私の前に難儀はないと。私の例えば持つ字引からは、この難儀という言葉を取ってしまうても良いという、これは私が、何十年も前から言い続けて今日もやっぱりそう思うております。ね。普通から言えば様々なまあ普通から言えば、血の涙が出るような事もないじゃなかった。けれども、それを神愛として、もうひた受けに受けてきたというのです。神愛と仰るけれども難儀ではないわけ。神様がこのようにしておかげを下さろうとする。神様がこのようにして、力を下さろうとする。もう神愛以外の何者でもない。小さいおかげよりも大きなおかげが頂きたいと思うからいよいよ心を大きく豊かにしてやろうとする働き以外にないという事。私はこの一心だと思うですね。今日私、ある難儀な方のことを御願いさせてもらいよったら、こう、×の字をこう頂いたのです。はあ、この人の信心は×の字だなあと。いわゆる右と願っても左、左と願っても右といったようなところを通っておられるから、御願いさせてもらいよりましたら、これに、もう一本これにこうやって、×の字にもう一本こう入れてくださった。丁度あの御神灯を炊きますときに、こう、昔は、三本、(?)でしたね。こう、その上に皿が乗っていて油、灯明がこう点くようになっている。もう、私はそれを頂いて、感動しました。なるほど人間ですから、完璧という事はない。ここを喜ばんならん事はわかっておるけれども、喜べないという所もある。これは神様が私に力をつけて下さろうとするのだと理屈では分かっておるけれども、やっぱりその場に立ってみると苦しい。
 ね、まあそういうような考え方を×の字、×の字じゃろうけれども、もう一辛抱、もう一本これに入れると上に皿を置いて、灯りがつくようなおかげになるというお知らせを頂いた。だから親先生が言われるになんでも有り難い有り難いで受けきらんから、もう、私では駄目だというのではなくてです、そこ、本当な所を焦点にして、出来ないけれども、それに向かって進んでいくというのが、三つの棒になって、それに皿がおかれてそれに油がいうなら明るいおかげにもなってくるのだという事なんですよ。私が言うようにすっきりとそこが頂けてしまわにゃということじゃないけれども、そこで、なら一心を立てるのであり、また分からなければならない。この世に、難儀はない、教祖様は難はみかげおかげだと仰っておられる。二代金光様は難があった時にむしろ喜べと仰っておられる。その何故喜ばなければならないか、どういうわけで難がおかげなのかということを合楽ではもう、あらゆる角度から説くでしょうが。難儀ではない。一事で答えるならば、神愛なんだと。ね。そのために、私はそこんところをすっきりと頂けれることの為に、本気で打ち込んだ一心を立てての信心にならなければならない。
 昨日も、竹葉会に久しぶりに参って来ておった方があった。熱心で毎日日参をされますが、色んな会合に出られなくなった。というのはここの御造営が始まった時から、初められたのが、まあ、家はもう、ご主人のお勤めでまあ別に何不自由ない生活をしておられます。息子達も皆おかげを頂いておられますから。けれども何とかこの御造営と思うた途端からいうならば発願された一心を立てられた。神様私の上に頂けれるもし、収入、給料その全てを御造営にというて、今日まで続けておられる婦人があります。できるこっちゃないですね。自分の働きの全てが御造営なんですから。ね。そんなわけで勤めておられますから、竹葉会員でもあったけれども、竹葉会にも出られなかったけれども、昨日は久しぶりで、まあおかげを頂いたというて発表をしておられます中にです、もう神様を頂きに頂いて、どんな場合でも身近に頂きに頂きに続けて、修行をしておられるのです。お徳を受けないはずがないですね。もう神様がいつも周囲に物を言いかけ続けておられる。先日もまあ、いうなら難儀な問題。これをいかにしてあり難く頂くかと。まあ自動車の運転をしながら、思わせて頂いたら、前を通っておる車のナンバーが1139というのである。素晴らしいでしょう。ね。
 もう一つ一つがありがたしで受けていけと神様が物を言うておるなさるような感じがするでしょうが。1139であると。その、発表をしておられました。ね。そのように、神様を身近に頂いてまいりますとです、あり難く頂けないようなことでもこれはあり難く頂かなければならないという事が分かります。私は今日はね一心とある。ね。八百万の神々とか日本国中の神々とか、もうそういう事はない。皆さんの場合はもう合楽一本と決まっておる。しかもおかげが頂けれるその手立ては合楽理念に極まったと分かっておられるとして、今日は話を聞いて頂いておるのです。ならその合楽理念の芯所というのはどういうことかというと、それこそ、佐田さんじゃないけれども私の前には難儀はないという頂き方一心なんです。
 ね。私はこの一心をもって私共の信心の焦点としてそれは日々降る日も照る日もありましょうけれども、降るは降るで有り難い、照るは照るで有り難いという1139、一々有り難いで受けていく以外にはないのだと。心が定まったその心を私は一心だと思うですね。
                                     どうぞ